新・なつきのモンテ観戦日記ブログ: 衝撃の事実!?おしんが、あのNDスタ名物のどんどん焼きを売っていた?

2013年6月26日水曜日

衝撃の事実!?おしんが、あのNDスタ名物のどんどん焼きを売っていた?

 昨夜に引き続き、「おしん」ネタ(^^;)。佐賀から東京に戻ったおしんは、髪結いの師匠、「たか」を頼ります。が、怪我の影響で、思うように髪を結えないことがわかります。

 そこで、始めた商売が、なんと、今ではNDスタの名物グルメとなった、「どんどん焼き」を売ることだったんです。的屋の総元締め・山形出身の健さん(ガッツ石松さん)に進められて始めたようでした。これが証拠写真です(^^;)。


 おしんが露天で、親子連れを相手に、「どんどん焼き」を売っている様子です。割り箸で巻くという文化はまだないようです。フライ返しですくって、厚紙のようなものにのせて売っています。

 山形が産んだ偉大なスターおしんが、NDスタ名物「どんどん焼き」を売っている偶然?が信じられず、ネットで調べて見ました。


 ウィキペディアによりますと、どんどん焼きの解説は、

 ウ 「どんどん焼きはもんじゃ焼きが変化したものである。どんどん焼き専門店「COCO夢や」店主は、2010年5月17日の「秘密のケンミンSHOW」にて、大正時代の江戸にはお好み焼き風のおやつがあって、これを参考として大場亀吉が山形に持ち込んだという。

名称は、同商品を売る屋台が「どんどん」と太鼓を鳴らしていたことから、あるいは、作るそばから「どんどん」売れたことから名付けられたとされる。

1931年(昭和6年)頃、東京の屋台や縁日で「どんどん焼き」が評判になっ。その後、昭和前期頃までは東京・下町界隈などでもよく見られた。」

 BSの現段階のおしんは、関東大震災の翌年の設定ですから、大正13年頃でしょうか?上の文献を見ると、昭和6年ごろ評判になったとあるので、おしんは、すでにその数年前に「どんどん焼き」を売っていたことになります。

 今のNDスタの「どんどん焼き」があるのも、大正末に、おしんが東京で売ってくれたからかもしれませんね(^^;)。やはりおしんは、山形の恩人だったのです。

 えっ?おしんは架空の人物だろう?それはそうです。が、今季、「信 深 神」 をスローガンに掲げるモンテのお膝元の名物グルメを、これまた「しん」の「おしん」が売っていたという偶然事実には、もはや偶然では片づけられないロマンを感じます(^^;)。皆さんはどう思いますか?


記事がよったらクリック<(_ _)> にほんブログ村 サッカーブログ モンテディオ山形へM山形ブログランキング

0 件のコメント:

コメントを投稿